サイエンスインタビュー

第1回 半導体の中の「2次元の宇宙」

川路 紳治 名誉教授

2007年3月、物理学科名誉教授の川路紳治(かわじ・しんじ)氏が、日本学士院賞を受賞した。いうまでもなく、日本の学術界でもっとも権威ある賞のひとつだ。
川路氏は、1958年に26歳の若さで学習院大学理学部物理学科に着任し、2002年に停年退職するまで、40年以上にわたって、目白キャンパスで、研究・教育を続けた。その間、学生部長や理学部長などの要職もつとめている。
「今回の賞は、川路先生が、この目白キャンパスで、独自の科学を夢見てじっくりと進められた研究に対して与えられたもの。それは、私たち後輩にとっても、たいへん名誉なことだ」と現在の物理学科主任である田崎晴明教授は語る。 サイエンスインタビューの第1回では、この目白キャンパスで超一流の研究成果を生み出した川路名誉教授のお話を聞いた。
川路 紳治 名誉教授の写真

手作りの研究から、「二次元電子系」の新しい世界が広がっていった

Q.
先生、このたびは、学士院賞の受賞、おめでとうございます。
A.
ありがとうございます。これは、私を支えてくださった皆さんのおかげで、私は、とまどっているばかりです。
Q.
やはり、大きな賞を取られると、お忙しいですか?
A.
いろいろとありますが、6月11日が、日本学士院での授賞式です。式がおわったあと、受賞内容のポスターの前で、自分の仕事について3分間で天皇陛下にお話することになっています。そのあと、2分間のご質問をいただくそうです。ほとんど一生かけてやってきた仕事を3分にまとめるというのは、なかなか難しくて、苦労しているところです。
Q.
それは大変そうですね。3分間では、「学習院のアパートでは、紀子様をお若い頃から拝見していました」なんて世間話(?)をしている暇もないですよね。 では、話はぐっと古くなりますが、先生が学習院に着任された頃のことをお聞きしていいでしょうか?先生は、なんと 26歳で学習院にいらっしゃったんですね。
A.
そうです。私は北海道大学で学位をとったばかりだったのですが、物理学科に来いと呼んでいただき、自分の新しい研究室をもつことになりました。 ですから、最初から、ボスがいないわけです。ボスがいないというのは、何でも自分のやりたいことができる、ということです。しかし、その反面、実験装置も何もなくて、ゼロから自分で立ち上げなくてはいけない、ということでもあります。 最初は大変でしたが、まわりの先輩の先生たちに何でも教わりながら、徐々に自分の研究を進めていきました。
Q.
そして、「2次元電子系」の研究に進まれるわけですね。「2次元電子系」というのが、どういうものか、簡単に教えていただけますか?
A.
ご存知のように、シリコンというのは半導体の一種で、かつてはトランジスター、最近ではICやコンピューターのCPUなどに使われている物質です。 シリコンの表面を酸化し、さらに、その上に金属をかぶせてコンデンサー構造をつくり、うまく電圧を加えると、一部の電子たちが、シリコンの表面の、酸化シリコンに接するとても薄い領域だけを動くようになります。平面的な領域のとじこめられた「2次元電子系」ができるわけです。
右図は、2次元電子系が実現される系の一例です。シリコンMOS型電界効果トランジスターの模式図。 MOSは、Metal-Oxide-Semiconductor(つまり、金属・酸化物・半導体)の頭文字です。 図のように、金属と酸化シリコンとシリコンのサンドイッチ状の構造をつくることで、金属と酸化シリコンのあいだ2次元電子系が実現されます。 実際の研究に用いられる試料の大きさは、1ミリにも満たない(典型的なサンプルは、1ミリかける 0.1ミリ程度)です。小さな試料の中に、量子力学の神秘を見せてくれる「2次元の宇宙」が生まれます(実用的な半導体素子は、さらに小さい)。
シリコンMOS型電界効果トランジスターの模式図
Q.
ボールを投げる遊びではボールは3次元を動くけれど、ボールを床や台の上で転がす遊びではボールは2次元を動くと言えますね。そういうことを電子でやったと思えばいいのですね。 しかし、そう考えると、2次元に閉じこめただけでは、電子の動きが制限されてしまって、特におもしろいことはおきないような気もしてしまいますね
A.
確かに、ボール遊びなら2次元よりも3次元の方がおもしろいでしょう。ところが、電子は、ボールとは違って、量子力学の法則にしたがって運動します。詳しいことを説明する余裕はありませんが、電子が波のようにふるまったり、異なった電子が本質的に区別できないことが運動に影響したり、という日常の直感ではまったく理解できないようなことが色々おきます。 特に、電子が2次元の領域に閉じこめられていると、磁場をかけたときの反応が、3次元とは大きく違ってくるのです。高校の物理でも学ぶと思いますが、磁場のある空間では、電子のような荷電粒子は、磁場と垂直な平面のなかをグルグルとまわるような運動をします。電子が2次元的な面に閉じこめられていれば、面に平行な磁場の成分は電子の運動に影響しません。一方、面に垂直な磁場の成分は、電子の波動関数の位相を変化させて、波動関数の干渉に影響を与えます。磁場がないときに電子の進行波とその散乱波から定在波がつくられていたとすると、磁場を加えることで定在波が消えることになります。これは、磁場をくわえることで電気抵抗が減少する「負の磁気抵抗効果」をもたらします。
Q.
ちょっと話がむずかしくなりましたが、それが、「2次元でのアンダーソン局在」というわけですね。そして、強磁場では「量子ホール効果」が現れるわけですね。
右図は、1978年の論文(Y.Kawaguchi,H.Kitahara and S.Kawaji: Surf.Sci.73 (1978) 520)にある2次元のアンダーソン局在の最初の実験結果です。2次元のアンダーソン局在の本質が理論的に理解されるのは、この実験以降です。

「量子ホール効果」とは、磁場をかけた2次元電子系で、ある種の電気抵抗の逆数がe2/hのちょうど整数倍の値だけをとるという不思議な現象です(eは電子の電荷で、hはプランク定数)。今では電気抵抗の標準にも用いられており、基礎的な物理としてだけでなく、応用の観点からもきわめて重要な現象です。
2次元のアンダーソン局在の最初の実験結果
右図の上のグラフは、磁場を変化させたときの伝導率(抵抗の逆数)の変化を示します。伝導率は、タクシーの料金のように、磁場をかえても一定値を保ち、ときおり、次の「許される値」にジャンプします。伝導率がこのような「とびとび」の値をとるというのは、とても奇妙なことです。それ以上に、「半導体に電気を流す」という実験に、ミクロな世界の基本定数である e と h が顔を出すというのは、驚くべきことです。多くの物理学者がこの現象を研究したが、未だに、完全な理解は得られていません。

「量子ホール効果」を最初に観測したのは、川路氏と、川路研究室の出身者で当時の研究室の助手だった若林淳一氏(現在は、中央大学教授)です。右上の図は、1980年の王子国際セミナーで彼らが発表した、世界で最初の量子ホール効果の実験結果です(注:専門的になりますが、川路グループでは、量子ホール系のホール伝導率を測定しており、これは(量子ホール状態も、そうでない状態も含む)すべての磁場領域・電子濃度領域で正しい値だと考えられます。フォン・クリッツィンらも、独立に、ほぼ同時期に量子ホール効果の実験を行っています。彼らは、より測定の容易な抵抗率を測定したので、その測定値は、量子ホール状態のみで正確であると考えられます)。
2次元のアンダーソン局在の最初の実験結果
Q.
こうしてお話を伺ってみると、先生は、研究室を立ち上げた当初から、その頃はほとんど誰もやっていなかった「2次元電子系」を研究されていたのですね。そして、超一流の発見をされた。 「2次元電子系」には重要な物理があるぞ、というような、見通しというか、勘があったのでしょうか?
A.
いや、私は、ただ自分がおもしろいと思うことを一生懸命にやっただけです。人がどう言っているとか、学界で何が流行しているといったことを気にしなかったのは確かですが、立派な見通しがあったりしたわけじゃないですよ。 私にとっては、半導体界面の「2次元電子系」というのは、量子力学のいろいろな不思議なふるまいを見ることのできる「おもちゃ箱」みたいなものです。あるいは、不思議でおもしろい現象をさがして探検できる、すばらしい世界と言ってもいいかな。
Q.
そうは、おっしゃっても、ただ「自分がおもしろいと思うことをやる」と言って、本当に一流の研究ができる人はほんの一握りですからね…
A.
私が幸運だったのは、まわりのたくさんの人たちに支えられたことだと思っています。 先輩や同僚の先生たちはもちろん、助手、大学院生、卒業研究生の諸君がいなければ、私は何もできなかったと思います。研究室の若いメンバーたちは、みな、若いエネルギーをそれぞれのテーマにぶつけて、本当に立派な研究をしてくれました。本当に感謝していますし、私は恵まれていたと思っています。 もう一つ恵まれていたのは、日本の半導体企業の技術が非常にすぐれていたことです。たくさんの企業のたくさんの方々から、私たちの実験に必要なSi-MOS型トランジスターの測定試料を提供していただきました。そのおかげで、私たちの実験ができたのです。この機会を借りて、厚くお礼を申し上げたいと思います。
川路研究室の40年以上の歴史の中で、6名の助手、約60名の大学院生、約170名の卒業研究生が、川路先生との共同研究に参加しました。

学部4年生の学生も、決して「お遊び」の研究をするのではなく、重要な研究の一端を担って一年間じっくりと研究するのが、物理学科の伝統です。川路研究室の学生、一人一人の研究が、長い目で見ると、「2次元電子系」の歴史の中で深い意味をもつ重要な研究を形作っているのです。

左の写真は1990年代の研究室の様子です。雑然としているようですが、並んでいる装置の総額を考えると気が遠くなるような、超一流の実験施設でした。
川路研究室
Q.
では、最後に、これから科学の世界にとびこんでみようという、若い世代のみなさんに、何かメッセージはありますか?
A.
科学の研究というのは、本当に、楽しいものです。ただし、その楽しさを味わうためには、ともかく時間をかけなくてはいけない。即席で楽しめるというものではないんです。 それを信じて、自分がおもしろいと感じることを、時間をかけて深く追求してほしいです。 あと、学習院大学の理学部というのは、ほんとうに、すばらしいところですよ。教員と学生さんが一緒になって、本気で、新しい科学をつくっていこうという空気があります。 大学の理学部というのは、本来、そういうところのはずなのですが、残念ながら、最近では多くの大学でそういう空気が失われています。学習院の理学部では、今でも、現役の先生たちが、そういう「学習院のよさ」を守り続けるために、がんばっています。若くて夢のある人たちに、ぜひとも、その伝統を受け継いでもらいたいと思います。

川路名誉教授の略歴・受賞歴

略歴
1958年 北海道大学大学院物理学専攻博士課程修了 理学博士
1959年 学習院大学理学部物理学科講師
1960年 同助教授
1963〜1965年 米国マサチューセッツ工科大学研究員
1968年 学習院大学理学部物理学科教授
1985~1986年 同学学生部長
1998~2000年 同理学部長
2002年 同停年退職、学習院大学名誉教授
受賞歴
1977年 安倍賞(学術賞)
1984年 30回 仁科記念賞
1992年 第32回 東レ科学技術賞 
1994年 紫綬褒章
2003年 勲三等旭日中綬章
2007年 学士院賞

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